【日本の歴史】オーエン・バーフィールド「歴史は虹のようなもの」

「国史というのは無数の水滴の中に虹を見ようとする行為に似ていて、無数の歴史的事実の中に、その国民の共通意識となるような虹を見ようとする行為というべきものなのである。(渡部昇一「歴史通」2010年3月号より)

息子の就学前検診の書類を持参し、私は30年振りに母校の小学校を訪れた。

それは不思議な体験だった。
改築の跡は殆ど見当たらず、校舎はかつての面影をそのまま残していた。
体育館、図書室、購買部、全て記憶のままにそこに在った。
ただ、ゆっくりと年月を重ね、壁はひび割れ、床はすり減り、全体がくすんで見えた。

開け放たれた窓から、乾いた秋風が吹き抜ける。
人気のない廊下に目をやると、プリントの束を抱えて小走りに職員室へ向かって行く小さな自分がそこにいるような気がした。

家が学校にごく近い場所にあったからか、休日、私はよく先生に呼び出された。
電話を受けると、すぐに職員室へ向かい、秘書のように用事をこなした。
不満はなかった。むしろ、人から必要とされている事に充実感を覚えていた。
その先生とは信頼関係があった、と今でも思うが、たった一つ子供の私には消化できず忘れられなかった出来事がある。

ある日、先生が私に言った。
「あなたのお爺さん、戦争に行ったって言ってたわよね?」
そういえば言った事があった。
「はい。」
「その戦争の話を、学校で皆にしてくれないかしら?」
「はい、お爺ちゃんに聞いてみます。」

祖父は、その依頼を聞いて喜んだ。

祖父は、三度戦地へ向かった。
二度撃たれて負傷して帰国し、三度目にまた赤紙を受け取り、愕然とする祖母に向かって「俺が行かないで誰が行くんだ!」と言ったという。元々軍人でもなく、蒲原の漁師だったのだが。でも、本当にそう言いそうな人ではあった。

孫が六人揃うと、祖父は、その戦場での話をしてくれた。

重い荷物を担ぎながらの行軍。
上官の理不尽な命令。
敵兵との銃撃戦。
クライマックスは、その銃撃戦で敵陣の背後に回りこみ、戦果をあげる場面だ。

撃たれた傷跡をみせてもらいながら聞く話は、とてもリアルだった。
軍服も大切に保管されていた。
また、コレクションしていた8ミリの戦争の記録映画の上映もしてくれた。

まだ学校で反戦教育を受ける前の、ごく幼い頃からこの話を聞いてきたからか、私達はそのまま素直に受け止める事ができた。

フィリピンで終戦を迎え、米軍の捕虜になったが、酷い扱いをされた事はなかった。
絵の上手な祖父は、一日中、将校達が家族へ送る為の似顔絵を描かされていたという。

それ故か、祖父は反米にはならなかった。
また、皇室への尊敬の念も変わらなかった。
祖父の家には天皇皇后両陛下の御真影が大切に飾ってあった。
そして毎年、靖国神社に参拝していた。そこには、戦友たちがいるのだと教えてくれた。

祖父が頑張ったこの話を、私だけでなく、学校の友達も聞くのかと思うと嬉しくなり、早速先生に報告した。

祖父の快諾に、先生は喜び、私に質問した。
「お爺さんは、どんな話をしてくれるの?」
私は、普段の祖父の話をそのまま伝えた。

先生の目は、みるみる曇っていった。
最後は、私の話を遮るように、
「やっぱりいいわ。」
と言った。

祖父の話は、先生の目的とは違っていたらしい・・・と、子供でも気づいた。

もしかして、学校で教えるような戦争の話を期待されていたのか?
祖父に、戦場は悲惨でした。人を殺めました。と言って欲しかったのだろうか。
日本は間違いを犯しました、と。

学校が教える戦争も、それが事実であるならば、学ぶべき歴史であると思う。
でも、祖父の体験も事実だ。先生は、何故祖父に学校で語らせまいとするのか。
国を守るために命を懸けた祖父を、反省と後悔が足りないと責めるのか?
言いようのない思いが巡ったが、言葉で表現することができなかった。

「いつ、学校に行けばいいのかな?」
大分日が過ぎてから、祖父に聞かれた。
「あのね、あの授業、やらない事になったみたい。」さらりと返すように気をつけたが、祖父は落胆していた。でも、理由は聞かれなかった。いや、分かっていたから聞かなかったのかもしれない。

あの日の出来事が、古びた学び舎の中で鮮明に蘇る。
私は、あの時先生に何を言いたかったのか?何と言えば良かったのか?
それは、忘れていた30年前の宿題だった。

事実という無数の水滴。
その水滴の中から都合の良いものだけを取り出して、この角度から見て考えろと言われても、そこに見えるものは、ただ撒き散らされた幾ばくかの水でしかない。

抽出したのではない、あるがままの水滴を、祖国を想う心で見つめた時、おそらく初めて虹を見ることができるのだろう。

あの時の想いを、今なら言葉にできる。

先生、私は虹を見たかった。
日本人にしか見えない虹を。
その先が自分達に繋がっているという感動を、皆と共有したかった。

これから私は息子と虹を見よう。
あるがままの水滴を集めて、大きな美しい虹を。
そして教えたい。
水滴の中の一滴に、祖父達の戦いがあったことを。




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